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自己紹介

発達障害ADHDのぼくがやめられない3つの事とその理由について自己分析してみる

孤独でさみしい

こんにちは、ADHD男子の遠藤です。

仕事を転々としたり異端児扱いされたりしてきて、この社会での生きづらさ、閉塞感を感じていました。そしてなんとなく「あ、おれ、発達障害くさいな、ADHDくさいな。」と感じていました。

しかし、これまたぼくの価値観では発達障害そのものの特性については、悪いものと捉えていませんでした。自分がそうだからというわけではないのですが、発達障害の特性を知れば知るほど「いいじゃん、そういう人」と思っていたくらいですからね。

さて、今日は「やめられないこと」の話です。

「ついついやってしまうこと」と「発達障害ADHD」の直接的な因果関係はありませんが、ぼく自身の考察が「生きづらさを感じている方」が楽しんで生きていけるヒントになることを願って。

やめられない3つのこと

「やめたいのだけれど、やめられないこと」

かっぱえびせんかな?

おとなになったいまでもどうしてもやめられないことがあります。

まずはその行動について。

鼻をさわる

よく鼻をさわります。無意識でさわっています。

さわるだけならまだ良いのですが、鼻の骨をつまみ上げるように力をいれてつまんでしまいます。

鼻をさわることでおきる3つ問題点

鼻をさわる問題点がいくつかあります。

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  1. かなり頻繁に鼻をさわるから鼻の毛穴が黒くなる
  2. かなりつよくつまむので毛穴の汚れがでてきて広がる
  3. 鼻が赤くなる
  4. 手がべたついてくる

[/list]

こうした理由から、できればやめたいとおもっているのですが、生きていくことに支障がないのでやめられません。

鼻をさわりだした理由

そもそもなぜ鼻をさわりだしたのか?

理由はいまでもハッキリと覚えていまして、ざっくり言えば「思春期のあじわったコンプレックス」が原因。

✓魔女の鼻・ニンニク鼻・キン肉マンの鼻

学生時代にクラスメイトから言われました。

  • 魔女みたいな鼻だね
  • ニンニクみたいな鼻
  • キン肉マンのみたいな鼻

多感な時期と言うこともあって、自分の鼻が好きになれませんでした。

なんとか、鼻のカタチをかえようとしたぼくが出した答えは「鼻がしらの骨を両側からおしあげて整形しよう」という方法でした。

これは10代から30歳を超えたいまでもクセになって続けていますが、お察しの通り、効果はないと言っても良いでしょう。

いまとなってはやらなかった時との比較ができないのでわかりませんが、鼻をさわるようになったきっかけのひとつが、これというわけです。

✓鼻のベタつき

思春期で体の代謝もかなり活発だったのでしょう。

高校生の時、鼻のベタつきが気になり始めたころでした。鼻の表面をこすると皮脂がぽろぽろが剥がれ落ちるという状態。

ぼく自身はあまり気にしていなかったのですが、これもまたクラスメイトに鼻のことをイジられたことですごく気にするようになっていきました。

 

そんな矢先に衝撃的なコマーシャルを目にします。

✓ビオレ毛穴スッキリパック

[youtube][/youtube]

実際にみていた映像とはちがうような気がする、、、記憶があいまいですまん。

その当時、鼻の毛穴には皮脂が詰まり、毛穴そのものが大きく広がっていました。このCMをみてすぐに試してみましたが、毛穴につまった汚れは取れませんでした。

それでもなんとか汚れをとれる方法がないかと模索しているうちに「鼻をつまんで皮脂・汚れを押し出す」という方法にたどりつきました。

この方法によって毛穴につまった汚れはとれるようになったのですが、代わりに「不衛生な手で鼻をさわる」という習慣に拍車がかかってしまう結果になりました。

しかし、よくよく思い返してみると、鼻をさわるようになる前から「なにかをさわる、いじる」クセがあった気がします。

おさえられない手の動き

鼻をさわる直前にやっていたのは「耳をさわり、たたんだり、折り曲げたりしていじる」でした。

しかし、それは鼻をさわるようになってすぐに終わりました。

耳をいじるようになる前にやっていたことは、よくおこられました。

爪をかむ

「爪をかむ」人はよくみかけるのではないでしょうか?

ぼくがまっさきにイメージするのは、アニメダブルZガンダムの主人公「カミーユ・ビダン」です。繊細で感情的な人間であり、ガンダムの世界においては「ニュータイプ」という位置づけ。

アニメ終盤では、おとなの都合によって宇宙戦争に参加。人間の死や怒り、悲しみに繰りかえし直面したことで、精神を崩壊させてしまう。

Zガンダムの描いた世界観は、いまの社会そのままだと言えます。

参考:カミーユ・ビダン とは【ピクシブ百科事典】

爪をかむクセがあるひとは、カミーユのように繊細な心をもっている人だと思います。

異常なほどにあまえたり、人に依存したりすることもあったり、極端にストレスをためやすかったり、ストレスに弱かったりして、実はすごく純粋でやさしい心を持っている人なのだと思っています。

根底にあるのは「完璧主義」かもしれない、と研究者たちは指摘する。完璧主義にはいいイメージがあるかもしれないが、実は思っているより心理的に大きな負担をかける原因になっている。

(中略)

「完璧主義者はリラックスしたり、作業を“普通”のペースでやるのが苦手です。そして目標を達成できないと、簡単にフラストレーションをためたり、イライラしたり、満足感を得られなかったりします。また、非常に飽きっぽいという特徴もあります」

(中略)

爪を噛む習慣が時々あっても、不安になる必要はない。そういった行動は、エネルギーをもっと生産的な活動に使えない時に起こる、一時的な行為であると研究者たちは考えている。

出典:つい爪を噛んでしまう…… そんな人は、実は完璧主義かも(研究結果)|HUFFPOST

爪をかむことが精神安定剤になっているのかもしれませんね。

関連記事:***

指の関節をポキポキと鳴らす

これも小さいときからのクセです。きっかけはアニメ「北斗の拳」です。

指をポキポキならすのも、手さみしさもひとつの要因だと考えています。

紙や布を爪でカリカリする

これも小さい頃からやっていてなおりません。文字にするとなんのことか、わからないと思います。

ある程度、かたさのある布を折りたたんで角をつくり、角を爪でカリカリするのです。

基本的にはいじっているだけなのですが、どうやらこれをやると落ち着くようで、小さい頃からずっとやっています。

共通することは指をつかうこと

こどもの頃からのクセを思い出してみると、共通することは「すべて手をつかう」ところです。

理由:気持ちをおちつけるため

手や指をつかったクセ「指遊び」は、こどもによくみられることですが、年齢や経験はあまり関係がないと思います。

最近ではメンタリストDaiGoさんが相手の仕草、表情、目線などを分析して心をよみ、行動を予想するという場面をよく見かけます。

人間が言葉を覚えた代償には、心をごまかしたり、ウソをつくというワザを覚えたことがあります。

人間の行動にはかならずなにかしらの理由があるわけです。

一般的、手や指をつかったクセには「心の不安定さを行動によって落ち着かせる」という意味があります。

たしかに言葉がつかえるようにはなったのですが、直接的につたえることへの恐怖も同時に覚えてしまった人には、なかなか言葉には出せないひともいるのです。

そして、それが繰り返されるとクセになっていくわけです、、、って、全部、ぼくのことですので、参考ていどに聴いてくださいね。

「やめられないこと」は問題なのか?

さて、ここまで書いてきて思ったのですが。

やめられないことって誰にでもあるはずなんですが、ぼくの場合の「手癖・指癖」は、そもそもやめなくてはいけないのか?

という疑問です。

「やめたい気持ち」はある

やめられるものならやめたい

しかし、「あー、もう、やめてやる!」という状態になってまで、やめなくてはいけないのだろうか?

「やめなくていい」とおもう

やめなくてはいけない

そう思うことで、また自分をおいつめていき、「あー、また、やめられなかった。」と自信をなくして、それがまた次のストレスになる。

悪循環におちいるのであれば、前提である「やめたい」「やめなくてはいけない」を変えた方がラクに生きていけそうです。

 

そう。

 

やめなくていい、そのままでいい。

さいごに

長々と書いてきましたが、手や指をいじる癖のある人は、なにかしらのストレスを感じているのかもしれません。

人間観察が好きなので、上であげた例のほかに、髪や肩など、体の一部をしきりにさわる人をたくさん見てきました。

あるいは、心細さやさみしさを感じているのかもしれません。

身近にいて大切にしたい人ほど、小さなサインを見逃さないようにしてほしいな、と。

そして、本人も心の状態に気づいたり、周囲の協力者に心を開いていくことを恐れずにやってみてほしいと思います。

 

ではでは、最後までありがとうございました。

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