コラム

発達障害であることをわすれてみる

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このところ調子がわるい。原因はわかっている。

どうせ、またいつものことだ。

発達障害当事者として、夫として、父親として、ひとりの人として、なにをして生きていけばいいのか。なにも見えてこなかったからだ。

先が見えないことからくる恐怖。なんども味わってきたはずなのに、またこの恐怖を味わおうとしている。

あいかわらずだ。おとなになって社会に放り出されたあの頃のぼくと、まるで変わっていない。

なんども味わってきたはずなのに、耐性はついていない。それもまたおなじことで、周囲の人を巻き込みながら、ひとりパニック状態になりながら落ち着くのを待つだけだ。

答えのみえない現実

発達障害の当事者なのだが、一人称としての感想は「だからどうした」である。一人称がそうであるのに、アカの他人からしてみても「だからどうした」なのである。

かまってほしいわけじゃない。そう、べつにかまってほしいわけじゃない。

ただこの落ち着かない毎日の生活。その激しい渦にのみこまれて苦しくなることもあるのし、その生活を止めてほしくなることはあるのだから、時々、大きな声で助けを呼ぶこともある。

そりゃ、だれだってそうでしょうよ。

発達障害とか、障害とか、そんなものは関係なくて、答えの見えない毎日の生活を送っている。それはみんな同じこと。答えが見えないから自分の力で見つけにいくんだ。

そうやって、力強く言うんだろう。きっとキラキラした目で言うんだろう。

誰かのつくった空想の世界にまどわされない

こんなに毎日がしんどくなったのは、おとなになってからだ。

おとななのだから。自分の頭で考えて、自分の力で、自分の人生なのだから、自分の好きなように計画しながら生きていく、自立した生活を送るのだ。

いったい、誰がそんなことを決めたのだろう。年齢をかさねて地位も名誉もお金を手に入れたおじさんたちかい?

いったい、なんの権限があって他人の人生にまで口だしする権利があるんだろう。

いや、もしかしたらそんな世界はなんてないのかもしれない。

発達障害ということをわすれてみる

そんなことを考えていても、現状はなにも変わらない。考えている自分に満足しているだけだろう。

発達障害なんてものをいちど忘れてみよう。こどもは素直で正直だ。素直で正直だから愛される。

発達障害も、おとなの作った空想の常識も、なにもしらなかったあの頃のぼくは、すくなくともいまよりもっと素直で正直だったはずだ。

心やまずに静かな生活をおくりたい。

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