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人生観

人を遠ざけるべきか、人と関わるべきか、人としてどうあるべきか?

kingen

こんにちは。「いろんな人がいるもんだ」が口癖のぼくです。

接客という仕事をしていると「お客さま」と会話をする機会にめぐまれます。会話を重ねていき、その方が「どんな人なのか」がだんだんわかってくると、感じることがあります。

それは「ウェブの世界よりも実社会のほうが(良い意味で)いろんな方がいらっしゃるものだ」ということ。

ウェブの世界のように、見ず知らずのひとにわざわざ、

  • こんなにすごい人間です
  • こんなにすごいことを考えています
  • こんなにすごいことをやってきました
  • こんなにすごい人と知り合いです

などと公表しなくとも満足した生活をしている人が大半だからです。そういう人には自然と人があつまり、結果としてお金もあつまってくるので、経済的にも心にもゆとりのある充実した人生を送っているのです。

つまりは、人としてもすごく尊敬できる方が多いので、こんなぼくとも会話をしてくれて本当にありがたいなと感じることも多いのです。

それが「接客」という仕事のひとつの楽しみかもしれません。

とあるお客さまからいただいた言葉が心にのこっている

数年前、新しい年を迎えた頃、常連のお客さまから一枚の紙をいただきました。

その紙がえらく心に残っていたので、いまも大切にしまってあります。(※画像は実際の紙をEvernoteに保存したもの)

目をそらすな、耳をふさぐな、口をつぐむな、知らないふりをするな、ほっておくな。

その紙には、直筆のイラストに添えてこんな言葉が書かれていました。

目ソラサザル 

耳フサガザル

口ツグマザル

今日もシラヌフリセザル

今年もホツトカザル

(※便宜上、この記事で「逆・三猿」と定義します。)

生きづらさを感じることの多い現代社会において大きな問題となっている「いじめ」や「過労死」の話題でもよく言われることではないでしょうか?

ビジネス書や自己啓発書はもちろん、ウェブの世界において、それなりに影響力のある人たちの多くが「意見の合わない人とは関わらない、時間のむだ」という意見をよく見聞きするようになりました。

ぼくが読んでいる本、見ている世界が偏っていることもありますが、いわゆる「人生を明るく、楽しく、ポジティブに」という話題においては、本当によく見聞きします。

たしかに納得できる話ではあるのですが、どこかに違和感を感じていました。しかし、この「逆・三猿」をお客さまから教えてもらったことで、違和感の正体がわかったような気がしました。

三猿|見ざる聞かざる言わざる

この「逆・三猿」の元となるのが『論語』の一節を元にしたとされる「三猿(見ざる聞かざる言わざる)」です。

目や口、耳など、それぞれの部分を隠す「三体の猿」で有名です。

「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」

礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ

(意味)

見ざる聞かざる言わざるとは、とかく人間は自分にとって都合の悪いことや相手の欠点を、見たり聞いたり言ったりしがちだが、それらはしないほうがよいという戒め。

出典:見ざる聞かざる言わざる – 故事ことわざ辞典

「三猿」の起源とされている書物はいくつかあるようですが、基本的には「仏教」の考え方が根底にあります。

真っ向から対立するような意見ですが、みなさんはどちらに共感するでしょうか?

「人間力」の土台や基礎によってどちらの意見に共感するかは違ってくる。

「三猿」の考え方は、「嫌われる勇気」などをはじめとする自己啓発や心理学のプチブームもあってか、ここ数年は特に見聞きすることが多くなりました。(個人的見解かもしれませんが)

例えば「批判してくる人とは関わらないほうがいい、時間の無駄」という考え方は「三猿」の考え方になるでしょう。

ビジネス、お金・資産運用、自己啓発、カウンセリング、メンタルヘルスといったジャンルに興味のあるぼくですから、こうしたジャンルのブロガーさんやツイッターアカ、ウェブサイト、書籍でもよく言われていることのように思います。

人生でもっとも大切なことは「時間」だからです。全員に平等に与えられたものであり、寿命も決まっているからです。

たしかに、人間は感情的な生き物ですから、相手にも自分にとってもメリットや利益のないことに時間を使うなんてもったいないわけで、理解できるところではあります。

しかし、この「三猿」の考え方や意見を見聞きすると、どうしても「違和感」を感じてしまうのです。

なぜ「違和感」を感じてしまうのか?

なぜ違和感を感じてしまうのか?

もっとも大きな理由としては「見ている視点と経験値が違うから」だろう。

どういうことかと言うと、個々人の体験や人間関係、教育環境などによって形成された「人間力」には大きな差があり、アツイ気持ちと心に余裕がある人ほど「見過ごすわけにはいかない!」と感じるのだということです。

つまり、「三猿=心に余裕なし」、「逆・三猿=器の大きさ」と定義できるわけなのですが、特に、ウェブの世界では「三猿」を唱える人が「影響力のある人としてありがたがられる傾向にある」ということに違和感を感じているのです。

人間力とは「利己主義か、利他主義か」という違いかもしれないですし、「わがままな性格か、世話を焼きすぎる性格か」というように、とらえ方はさまざまです。

「見ざる聞かざる言わざる」は、メリットのないことに時間を使わないことを推奨しているように見えます。

「逆・三猿」は、困っている人がいるのであれば「知らないふりをするな、無視をするな」と、そう呼びかけているように思います。そこには、自己犠牲の精神も感じられて「人の温もり」を感じるわけです。

ぼくにはなんの影響力もありませんが、人の温もりや愛のある社会にとっては「逆・三猿」を唱える人に影響をうけ、そして自分もまた影響をあたえる人間にないたい。

そう感じたわけです。

さいごに

社会にはほんとうにさまざまな体験・経験をし、さまざまな価値観をもっている方がたくさんいらっしゃいます。

その中のひとりとして。またこの社会に生きづらさを感じている人間として、人の温もりを感じる優しい社会を作りあげていくために、この「逆・三猿の精神」を忘れたくないな、と思います。

どんなに気持ちに余裕がなくても、お金に余裕がなくても、「人の心」だけは無くさずに生きていきたい。

そう思います。

ではでは。

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