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人生観

不寛容には不寛容なぼくと、不寛容にも寛容な世界をめざすあの人と。

生きづらい社会をどう生きるべきか?

あ、どもども。

今日は、人間の「寛容さと不寛容さ」について考えてみたので、記事にしてみようかなと思います。

寛容さと不寛容さに関するこの記事を書こうと思ったきっかけは、平山高敏さんのツイートだったので、まずはそのツイートを確認してみてほしいな、と。

寛容さ、不寛容さ、不寛容さえも受けいれる寛容さ。

このツイートをぼくなりにまとめてみます。

寛容な人でありたいと思っているが、結果的にはべき論で生きている「不寛容な人」をさけるようになったが、それは同時に「自分自身の不寛容さを証明するブーメランなのだ」という発見は大きかった。

「寛容さを求めている自分は、実は不寛容な人間でもあった。」

そして、そのことに気がついたことが大きな発見だった、と平山さんはツイートされていました。

めちゃくちゃわかる、これ。

ぼくからみた平山さんとは?

ちなみに平山高敏さんは有名企業でウェブのマーケティングやプロデューサーをしている方ですが、ぼくの目線では、招待制サロン「Wasei Salon」オーバーエイジ枠のお一人。

Wasei Salon」っていうのは、株式会社Waseiの代表であり、ぼくもむかしから愛読している人気ブログ「隠居系男子」の管理人でもある鳥井弘文さんが、全力で応援したいっていう人たちに声をかけてできた招待制のサロン。

ウェブの世界でも実社会でも何者でもないぼくは、ただウェブの世界を徘徊しているだけの人間ですが、そんなぼくからしてみれば、Wasei Salonは「アーティスト集団」みたいなかっこいい人たちの集まりであり、そこに所属している人たちはあこがれの芸能人みたいなもの。

Wasei Salonメンバーでなにかしらのビジネスをやったとしても、社会を変えてくれるようなことをやってくれると思いますし、応援する人たちもいることでしょう。でも、Wasei Salonのメンバーたちは、そんなことには目もくれず、個々での経験を積みかさねながら、お互いの存在を大切にしたり、時には高めあう。

そんな理想的でかっこいいおとなたちなわけで、一般人のぼくには、ただ見ているだけでワクワクさせてくれる人たちなわけです。

いずれにせよ、平山高敏さんも鳥井弘文さんも。そしてWasei Salonメンバーも、ぼくがいつも見ているウェブの世界でキラキラと輝いているあこがれのヒーローなわけです。

Wasei Salon×サイボウズ式第2編集部 コラボ勉強会vol.2 〜これからの家族と私のあり方とは?〜では…。

あ、勉強会ではありがとうございました!

えんどう
えんどう

※ここだけの話。

先日、Wasei Salonとサイボウズ第2編集室による勉強会に参加させていただいたのですが、緊張しすぎてほとんど話をしていない…鳥井さんにあいさつしたのは、なんとなく覚えてる…想像してたより背が高かったのはちょっとびっくりしたけど、ド緊張状態にお酒の入ったこんなぼくにも、すこぶる腰のひくい丁寧な対応をしてくれたことは覚えている…のだけど。

平山さんのワイン、バーテンダーたっけさん、緊張を隠すようにワインを飲み続けたぼくは、ほとんど記憶がとんでます…失礼なことしていないか、心配です…ぼく。

関連リンク

平山高敏さん

鳥井弘文さん

竹田匡宏(たっけ)さん

えんどう
えんどう

サイボウズでの勉強会に参加させていただきありがとうございました!

…ベロベロになってしまったので、アンケート用紙も未提出です。

Wasei Salon、サイボウズ式第2編集室のみなさん、ほんとにごめんよ。

目には目を。不寛容な人には不寛容な対応を。

さて、平山さんのツイートを見て、ぼくはこんなことを思ったのでツイートをしてみました。

ぼくは平山さんの考え方に同意です。

どちらかハッキリとさせたい性格なのですごく共感しました。特に、しごとの場面において感じることがおおいですが「周囲の意見に耳を貸さない不寛容な人には、不寛容な対応で良い。そう考えています。

もちろん、寛容な人にはなりたいんだけど、それがうまくできなくて、結果として不寛容に見えてしまう方々もいらっしゃいます。そういった努力の姿勢や過程がみえる方にはもちろん寛容です。

完璧主義者は必ずしも不寛容ではない

ところで、ぼくは周囲からよく「完璧主義」だと言われます。

完璧主義者は、他者に見せても恥ずかしくない完成した状態になるまで、それに固執してやりつづけてしまうことがよくあります。

ただ、完璧をめざしたところで、納得した状態になることはほとんどなく、一人で抱え込んでは勝手にストレスを感じて自滅することもあります。それが重なると、どんどん自分に自信をなくし、気持ちが不安定になります。そうこうしながら、働くことができない状態になり、社会からドロップアウトしてしまうことは、経験から学びすでにわかっていることです。

たしかにぼくは、あらゆるジャンルのことに興味がありますし、できることならそのひとつひとつを深く追求したいと思う性格です。興味や関心には限界がありますが、すべての事柄は関連しているので「より広く、より深く。見識を深めたい。」と思っているのです。

ただ、時間やお金には限りのあるこの社会で、それを追求してしまうとキリがなくなり、他者との意識のズレも大きくなり、生きづらくなることもわかってきました。

だから、ここ最近はずっと「6割マインド」場合によっては「5割マインド」でやるようにしています。

5割マインドとは?

目標の半分くらいできていればいい。完璧な状態なんてだれも求めていないし、がんばってやったし、半分もできてるんだから大丈夫。

よく半分までがんばったね、おれ!

という心がけのこと。特に、ビジネスシーンで見聞きすることがおおく、8割マインドで言われることが多いと思います。

「完璧なんて求めてないよ、だいたいできてる状態でもいいから、みんなに見せてあげなよ。」という考え方は、すごく大切だと思うようになりました。

そんなぼくではありますが、それでもまだ「完璧主義者だ」と言ってくる人がいるもんだからおどろきです。ぼくからしてみれば「あんた、普段、どんだけ手抜きしてやってんだ!?どんだけー!!」って思うわけです。

だって「50%くらいでいっかー」って思ってやってる人に対して、「完璧めざすな!気楽にやれ!」って言ってるわけですから。

いやいや、いやいや…すでにめちゃくちゃ手を抜いてますから、ぼく。

どうやら、人はいちど「完璧主義者」だと思うと、そうであってほしいと思い続けたい人たちがいるようです。そして、そういう人ほどえらい立場にいるのが、ぼくの見てきた会社という組織の現実です。

不寛容な人間っていったい誰なのか?

社会にでて会社という組織の中での人とのやりとりを経験してみて感じていることは、

不寛容な人間っていったい誰のことなんだい?

手をぬけないぼくですかい?

それとも、

いつまでも他人を「完璧主義者」だと決めつけ呼びつづけるえらい人かい?

と思ったわけですよ。

ぼくはたしかに「発達障害ADHD」であり「完璧主義者」であり「情緒不安定」な人間であるようだ。ただ、ぼくからすると「どれも周囲のあなたたちがいるからその傾向が強くなっているんだよ?」と言いたいわけです。

それは、たしかにぼくの甘えかもしれないし、適応能力がないのかもしれないので、ぼくは不寛容な人間なのかもしれないですね。ただ、ぼくとおなじくらい「あなたたちも不寛容な人間なんじゃないのかい?」と問いたいわけです。

人のふり見て我がふり直せ

えらい人たちに心からこの言葉をおくりたい。

不寛容な人間が、薄笑いをうかべながら「他人に寛容さを求める不条理な構図」が許せない

ぼくがいちばん許せないのは、不寛容な人間がえらい立場にいること。不寛容なえらい人が他人に寛容さを求めること。そして、えらい人たちにあわせるように、周囲の人たちも寛容さを失っていくこと。

さらにはえらい人たちが、心の中でニヤニヤとうす笑いを浮かべながら、

  • キミには寛容さが足りない
  • そんなんじゃ「社会」ではやっていけないよ?
  • もちろんこの会社でもやっていけないよ、言ってることわかる?
  • キミのために言ってあげてるんだよ?

などと「善意をよそおっておきながら実は悪意にみちあふれている、人のぬくもりを感じないその人間性」が許せないのだ。

人の心を感じない「不条理さ」が許せないのだ。

不寛容な人間をも包み込んで愛そうとする人

ぼくはどちらかと言えば「白と黒をハッキリとさせたい」人間なので、不寛容な人間には不寛容さで対応します。

しかし世間にはほんとうに心の広い方がいるようです。

不寛容な人間も、悪意に満ちあふれた人間も、すべて認めて愛して、抱きしめようとしている人がいる、ということを知りました。

しかも、昨日今日、思いつきではじめているわけじゃなく、ずっと同じことを言いつづけて、実際にそういう世界を作りあげるために「Wasei Salon」とか「SUSONO」とかいうコミュニティを作ったりしている人がいるらしい。

そんなこんなで、この世の中、まだまだ捨てたもんじゃないし、人の温もりと優しさに満ちあふれた世界の一員でありたいと、常々おもっているわけです、ぼくも。

まだまだ、ぼくには「寛容さ」がたりないけれど、そういう人間的な温かみのある社会にしていきたいと思います。

さいごに

寛容さと不寛容さ、不寛容にも本当の意味で寛容でいられるかどうかって、人間の本質的なところが見えるような気がしています。

ぼくがのぞむ社会は、人の温もりを感じることのできる、不条理や不合理がなく、愛や優しさがたくさんある社会です。

いままではひとりで孤独を感じることも多かったけれど、愛のある人たちが、この国やこの世界にいるのだと思うと、なんとなく勇気も出てきました。だからひさしぶりにブログを運営する気持ちにもなったし、かつて憧れていたウェブの人たちにも勇気をもってリアクションをおこせるようになった。

変わらずブログを続けている隠居系男子の鳥井さん。そして、平山さんをはじめとするWasei Salonのみなさん、SUSONOのみなさん。

「いつもありがとう、今後ともよろしくおねがいします!」と、ぼくはそう言いたい…って、どんなまとめ?最後になにを言ってるんだろうか、おれは?

ま、いっか。

そんな気持ちです、ではでは。

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