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人生観

生きづらい社会をどう生きるべきだろうか?

生きづらい社会をどう生きるべきか?

この社会に生きづらさを感じていた。いまもなそう感じている。

 

生きづらさを感じて、またぼくはインターネットの世界に逃げてきた。

なにかやりたくて、でもなにをすればいいかわからなかった。

 

できることはブログとツイッターをやることだった。いま思うと、居心地のいい場所を探しに来ただけなのだとおもう。

ツイッターという世界は眩しいほどに輝いていた

インターネットの世界には、同じように生きづらさを感じている人がいた。

同じ発達障害(ADHD)の人のなかにも、苦労はありながらも一生懸命にやるべきことに取り組んでいる人もいて、すごくうらやましくなった。その人たちが、生きづらさを感じた現実社会で活躍しているのがすごくまぶしかったからだ。

同時に「なぜ自分にこれができなかったのか?」と、悔しくもなった。「今からでも遅くない。今からだってできる。」自分にそう言い聞かせてみたけれど、心ははれないどころか、かえって虚しくなってしまった。

 

それでもやはり、障害があることをわざわざ表明することが恥ずかしくなるくらいにみんな輝いていた。だから悩んだ、発達障害ADHDであることを言うか、言わないか。ぼくはそんなところにこだわってしまうような人間なのだ。

生きづらいはずのこの社会で、同じ経験をし、同じことを感じ、同じ想いを発信する人たちは、悔しくなるほどに行動していた。

ツイッターという世界は眩しいほどに輝いていた。

 

それでもツイッターという世界で得るものは大きかった。社会で活躍している人たちの意見には激しく同意できる内容ばかりだったから、自分の価値観もそんなにズレてはいないのだということが確認できたこと。

なによりもぼくのツイートにも共感してくれる人がいるのだということがすごく嬉しかった。

生きづらさを感じる現実社会でどう生きるべきか?

現実社会に打ちのめされて、ぼくは逃げるようにインターネットの世界にやってきた。

ただ、生きていくためには現実社会で生きていく方法をみつけなくてはいけない。

 

この社会でどうやって生きていこうか。

どう生きるべきか。

 

その答えを導き出すためには、経験がたりなかった。

いや、ちがう…死んだ気になってやってみるという経験をとおしてあじわう絶望感と達成感がたりないのだと思う。この悲しみをわかってほしいという欲求であり、人から認められたいという欲求だ。

 

ぼくはこの社会の誰よりも失敗をこわがっている。恥をかくことをおそれている。バカにされることから逃げている。すごい奴だと思われたがっている。

 

否定されることに恐怖している。

 

なりたい自分になるために、この社会でぼくはなにをするべきだろうか?

ぼくはなにをするべきか?

ぼくは何者かになりたがっている。

何者かになるために人と関わりたいと感じている。

 

人と関わる中で生きづらさを感じ、また孤独をあじわう日々を繰り返している。時にどうしようもなく人がきらいになることもある。人と関わりたいという欲求が、意に反して孤独を求ているのかもしれない。そう思うこともあった。

 

ぼくは人と関わりたいのだ。

だから、ぼくはツイッターとブログに辿り着いたのかもしれない。そしてきっと、辿り着いたこの世界で自分のなすべきことを見つけに来たのだ。

 

生きづらい社会で生きるために、自分のなすべきことを見つける。

それがいまのぼくがやるべきことなのだろう、と。

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